忘れられた戦場で

とある醜女の身の上話

ルッキズムとマッチョイズム

ルッキズムの根源はマッチョイズムにある。

 

マッチョイズムでは「強くて力のある者」が一番の権力者となり、その他の者が周縁化される。
男性の場合、顔の醜さより低身長のほうが揶揄されやすいのはそのためだ。
低身長の男性は「強くて力がある(ように見える)」というマッチョイズムの理想から外れるからだ。

それはヒョロッとして弱そうに見える男性や、少年・老人・障害者の男性も同様で、男のなかでは二軍三軍の扱いを受ける。
だから、マッチョイズムにしたがえば「若くて健康な(健常者の)男」が強者であり勝者となる。

 

いっぽう女。

 

男尊女卑社会では、男の世界の下に女の世界がある。
女の世界は男の価値観の受け売りで成り立っていることが多い。
男性の最上位が「力のある者」なのに対し、女性の最上位が「美しい者」なのは、男社会が女性側に押しつけた価値観だ。
だから、「力のある男」と「美しい女」はけっして対等にはなれない。
どれだけ美しい女性であっても「力のある男」より優位には立てない。

では、なぜ女性は「力」ではなく「美」に重きを置かれたのか。
それも男根主義で説明がつく。

西欧的な「美」の価値観の獲得が先天的・後天的のいずれによるものかは論争があるけれど、とにかく美醜の概念があるかぎり人が美しいものに惹かれるのは確かだ。
人の外見的な美しさは生殖適齢期(若さ)と直結している。
男女ともに生殖に適した年齢が最も性的魅力を感じやすい時期だ。

それを踏まえた上で、男が女に「美」を課したのは、ほかの男たちへ己の力を誇示するためだ。

まず、男の「勝者の系譜」を維持するために、女性は子孫を残す役目を負う。
次に、男にとって若くて美しい女性を獲得することは、性的対象としてはもとより、ほかの男へ誇示するための勲章と同じ役割を果たす。
トロフィーワイフってやつ。
また、敵対する男に従属する女を犯し殺めることも、男にとって勝利と支配の「勝者の証」として機能する。
要するに女は男の付属品として男同士の争いに巻き込まれ続けているのだ。

 

いまは「力のある男」といえば腕っぷしの強い人ではなく為政者や金持ちを指すようになった。
だけど権力者という意味ではどちらも同じ。

 

以上、私が思うルッキズムの発祥でした。
あくまで私の『独断と偏見』の産物にすぎないのであしからず…。

 

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