忘れられた戦場で

とある醜女の身の上話

差別意識のつくり方

自分のなかにある差別意識に気づいた話。

***

中1の誕生日の朝、私は祈った。

「神様、せめてきょうだけでも、何も言われない一日にしてください。」
運試しのようなものだった。

これで誰かに何か言われたら、私はそういう星の下に生まれたんだ。
そういうことにしよう。

そんなことを思いながら三階の教室に向かうために階段を上っていると、見上げた先に同級生の男がいた。
そして、その男は私と目が合うなり言った。

「気持ちわりぃ」

誕生日の願い事は早々に打ち砕かれた。

人がこの台詞を言うときの顔は実に憎々し気だ。
まるで親の仇でも見るような目つきをしている。
憎悪と軽蔑の入り混じった表情。

 


その男は何が原因かは知らないが、片目だけ瞳の色が抜けていた。
見た目にわかる特性を持ちながら、人の顔を罵倒できてしまう心理が私には理解できなかった。
私だったら自分の顔のことを言われるのがイヤだから、誰かの外見を罵倒することなど考えられないと思った。

その日の夜、自室でずっとそのことについて考えていた。
私の顔のことを言うなら、私から目のことを言われるかもしれないことぐらい予見できるはずだ。
目のことを言われてもかまわないってことか?
それとも、ブスごときには何を言われてもノーダメってことか?
あの場面で私が男の「目の色」を材料に反撃していたら、どんなことになっていたんだろう。

そんなことを考えていると、ふと「あること」に気づいた。
もしも、あの男が外見上の異質性を備えていなかったら、私はここまで疑懼の念を抱いただろうか?
心のどこかで自分の苦悩をあの男が理解して然るべきだと思っていやしないだろうか?

私の顔を罵倒してくるのは大半が「普通の人」だ。
見た目でわかるような障害や病気もなく、外見上の特性も持たない「普通の人」だ。
「普通の人」の数が最も多いのだから当然だった。
にもかかわらず、あの男のように特徴的な外見を持つ人から攻撃されると、それがたったひとりであってもそのひとりに固着してしまう。

「私から逆に目のことを罵倒されるかもしれないのに怖くないんだろうか?」と男が恐怖を感じないことを訝しんだり、「特異な目の色をしているのに、なぜ外見上の異質性を持つ人を攻撃できるんだろう」と見た目の苦しみを知る者同士として暗に連帯や共感を求めたり…。
もしも男の目の色が普通だったなら、どれもこれも思っていないはずのことだ。

 


これって差別じゃないのか?

 


自分のなかにある差別意識に気づいた瞬間だった。

その他大勢に紛れ込むことのできない「異質」なものに人の意識は向かうようにできている。
単に「異質」なだけでなく、それがネガティブな要素だったときにそうなるのだと思う。
なぜかというと美男美女には同じことを思わないからだ。

10人の普通の人から攻撃されるより、ひとりのブスから攻撃されるほうが記憶に残りやすいだろう。
そして、その矛先は10人の普通の人ではなく、ひとりのブスに向かうようにできている。
「ほかの10人はともかく、ブスにまで舐められてたまるか」
そんな心理が働くからだ。

マイノリティほどマイノリティに対して苛烈な差別意識を持ちやすくなるのはそのためだ。

以上、私が気づいた「差別意識のつくり方」でした。