忘れられた戦場で

とあるブスの身の上話

罰ゲーム

- 中1 -

休み時間に廊下の長椅子に座り、友だちとしゃべっていたときのこと。

一年生のなかで最高権力者のイケメンヤンキー男が、ためらいがちに私に近づいてくるといきなり壁ドンした。
その様子を少し離れた場所から、その男の友人たちが見ていた。
私は瞬時に自分が罰ゲームのネタにされていることを悟った。

実際、その男と同じクラスの女の子から、「モアイ(※私のあだ名)に抱き着く」という罰ゲームだったことを後から教えられた。

私は極度の赤面恐怖症で、心臓がドクンとびっくりしただけで、すぐさま顔が耳まで真っ赤になってしまう体質だ。
お察しのとおり、赤面症の発症は顔の醜さを罵倒・嘲笑されてきたことに起因する。
人の視線を感じたり顔を見られたりしたとき、顔を見られそうになったときに、どうしようもない恐怖と羞恥を覚えた。
ちなみにアラフィフになった今でも治っていない(思春期のころよりはマシになった)。

このときも、やっぱり赤面症が発動した。
動悸が激しくなり手足の末端が冷たくなると小刻みに震えているのがわかった。

みんな(特に友だち)の前で、有無をいわさず壁ドンされたことで、私はパーソナルスペースを侵害され、人としての尊厳を傷つけられた。
何もかもが惨めで居たたまれず、恥辱以外の何物でもなかった。

だけど、一部始終を見ていた私の友人が、あろうことか目をキラキラさせながらこう言った。

 

「ねえねえ、顔が赤くなってる!やっぱり、うれしいよね?ね!?」

 

私は自分の理解を越えた事象に対峙すると、思考がフリーズしてしまうことがあった。
このときも、友人が何を言っているのかわからず、その場で石化した(モアイだけに…)。
まるで「ブスなのにスクールカースト最上位のイケメンに抱き着いてもらえてよかったね」とでも云わんばかりだったからだ。

「え?あの、罰ゲームなんだけど…」とボソッと独り言のようにつぶやくのが精一杯だった。
だけど、頬を紅潮させ興奮気味に同調を求める彼女に、まったく他意がないことだけは見て取れた。
本気で私が喜んでいると思っており、そんな私を「祝福」しているつもりなのだ。
さながら、初潮を迎えた娘のお祝いに赤飯を炊く、ありがた迷惑な母親のようだった。

それまでの経験により、女友だちからも下に見られていることは重々承知していたつもりだが、さすがにこの時は想定の範疇を越えていた。
同じ女ではなく「ブスという別の生き物」としてみなされていることを痛感した。

私が汚物だという認識が共有されているからこそ、私に抱き着くことが「汚い」という罰ゲームが成立する。
それの一体どこに喜べる要素があるんだ…。

 

「みんなから汚物扱いされてる私なんかに、一生縁がないはずのイケメンがさわってくれた!うれしい!」
「こんなブスの私にスクールカースト最上位者が抱き着いてくれた!人生最高の記念日!」

 

友だちから見た私は、きっとそんな感じに見えたのだろう。
ブスが幸福を感じるラインは「普通の女の子」より低く設定されていると思っているようだった。

赤面恐怖症は傍から見るより当事者の内面は深刻なものだが、マヌケで滑稽な顔をしたブスが男に壁ドンされて頬を赤らめている姿は、他者から見るとマンガに出てくる「お笑いブス」と同種にしか見えないのだ。
「イケメンwwぐふっw」みたいに喜んでいるように映ってしまう。

「ブスなのに●●してもらえてうれしい」は周りから見たブス像にすぎない。
周りが勝手にブスを通常より下の人間に設定し、「ブスならこの程度のことで喜べる」と勘違いしているだけだ。

 

ねえ、もしも君が罰ゲームの対象にされたら、きっとイヤでしょう?
君がイヤなことは私もイヤなんだ。

 

心のなかでひそかに我が友へ語りかけた。

もしかしたら、友人のことをひどい女だと思うかもしれない。
だけど、そういう良識を保っていられるのは、あなたが私の顔を知らないからだ。
顔が与える「印象」の問題というのがあって、リアルに顔を知っている人こそブスを蔑視してしまう。
これは日本全国、共通の現象だろうと思う。
本人にそのつもりがなくても、どうしても人は顔が醜い者を「劣った存在」と見なしてしまうのだ。

私に壁ドンしたスクールカースト最上位者のヤンキー男は、身体障害者の妹がいて妹思いの優しい兄として有名だった。
イケメン高身長でかつ医者の息子だった彼は、「ホントは頭がいい人」「ホントは優しい人」という、不良のいいところは10倍増しに見える現象により、わりと女の子から人気があるようだった。
友だちもその男にひそかに憧れていたから、それで私が喜んでいるように見えたのかもしれない。
障害者の妹には優しかったというその男も、私(ブス)には容赦なく差別意識を発露する。

 

顔が醜い女はあらゆるマイノリティのさらに下層に位置している。

これこそが差別として認識されていない「差別」だ。