忘れられた戦場で

とあるブスの身の上話

前編・ブスと醜形恐怖症

Googleで“醜形恐怖症”と検索して、ヒットした上位のサイトを見てみると、以下のように定義されている。

 醜形恐怖症の人は、実際には欠点はまったくないか、ささいなものであるにもかかわらず、自分の外見には大きな欠点があると信じ込んでいます。
https://www.msdmanuals.com/ja-jp/
- MSDマニュアル 家庭版

 みずからの身体的な外見や知覚をもとに、自分が魅力的ではない・醜い・ゆがんでいる・時には化け物に見えるといった考えをもってしまう事が特徴です。(中略)全くそのような容姿でないにも関わらず、本人は強く信じて考えにとらわれてしまっていることも特徴です。
https://nagoyasakae-hidamarikokoro.or.jp/
- ひだまりこころクリニック

どちらのサイトでも「実際には欠点がない」「全くそのような容姿でない」とし、外見に大きな欠点があるというのは、あくまで当人の思い込みだとしている。
つまり、“醜形恐怖症”には思いこみではない「本当に外見が醜い人」は含まれないということだ。

***

19歳のとき(95年)、メンタルクリニックで「抑うつ神経症(気分変調症)」の診断を受けてからというもの、私は神経症の本を読みあさった。

やっぱり、「醜形恐怖症」の項目に目が留まった。
醜形恐怖症」は神経症を網羅的に扱った書籍のなかでも、1ページ分にも満たないほど扱いが小さかった。

そんな中で印象に残っている記述がある。
正確には憶えていないけど、以下のような内容だった。

醜形恐怖症の患者には平均以上の容姿の人が多い※大意」

最初にその文言を見たときは、率直にいって不快だった。
この外見至上主義社会で、特に女性は幼少期から容姿をジャッジされながら育つので、否応なしに自分のスペックを自覚させられる。
それなのに、なぜ平均以上の人が「醜い」ことに思い悩むのだろう?
経験を伴わないはずなのにいったい何故?
そう思ったからだ。

以下はあくまで私見だ。
本来、私が「醜い」以外の属性について語るべきではないのだが、「美人」には一対となる陰陽のようなシンパシーを勝手に感じているので書かせてもらう。

まず、ブスについて。
顔ですべてを否定されてきた人間は、人間顔がすべてだと思いこむようになる(当然ですよね)。
そうすると、顔は隠せないし、もうしょうがないから「せめて顔以外を完璧にしよう」と思うようになるのだ。

私の場合は、それが「性格」だった。
人一倍「誠実」かつ「善良」で、人一倍「器の大きい」人間にならなければ通用しないと思っていた。
内面はともかく、少なくともそう振る舞わなければならないと信じていた。

では、美人はどうか?
顔ですべてを肯定されてきた人間もまた、人間顔がすべてだと思いこむようになる。
何をやっても顔しか認められないから、「せめて顔だけは完璧にしよう」と思うようになるのではないか?
つまり、美人の醜形恐怖症は「醜い」ことに思い悩むというより、美しいことを知りつつも「完璧ではない」ことに神経をすり減らしてしまうのではないか?

  • 顔で全否定されたブス→「顔以外を完璧にしよう」
  • 顔で全肯定された美人→「顔だけは完璧にしよう」

だから、割合的には真正ブスより美人の整形率のほうが高いんじゃないかと思う。
そうすると、醜い女は醜いままに美しい女はより美しく、という構図ができあがる。
それが人々からの「ブスほど綺麗になるための努力をしない」「元から美人なのに何のために整形するんだ」などの、さらなるジャッジを呼び込んでしまう。
ジャッジされてきたからこそ、そうなってしまったというのに…。
(※私は美人ではないので、上記内容はあくまで憶測です。)

ともかく、外見上の同じ部分を指摘され続けることにより、言われた当人はその部分を気にかけるようになる。

私も幼稚園のころに母からずっと手の平のホクロを「褒められ」続けたせいで、コンプが顔に取って代わるまではホクロが最大のコンプレックスだった。
それが例え「かわいい」「美人」などの褒め言葉(のつもり)であっても、当事者の意識はそのポイントに向かうようになるのだ。
「意識する」とは、つまり「気になる/気にする」ということだ。

私が青春時代を過ごした80~90年代は、メディアが盛大に女性の外見至上主義をまき散らしていた時代だったが、そんな当時でさえ「人の外見をあーだこーだ言うのは失礼だ」という道徳観念が遊泳するクラゲのごとく漂っていた。
形骸化していたけど、そういう社会通念はまちがいなく「あった」のだ。

今の若い人たちにそれが端から存在しないなら、私も含めた上の世代の人間たちが築いてきた社会のせいなんだろうと思う。

久しぶりに会うたびに、第一声で「痩せた?」「太った?」とかそんなことばかり言っている人も、相手からウザがられていることに気づいたほうがいい。

 

後編・ブスと醜形恐怖症 - 忘れられた戦場で