忘れられた戦場で

とあるブスの身の上話

前編・シスターフッドの外側で

ツイッター全文 - 忘れられた戦場で

「男はブスに買われて、ブスのまんこ舐めれんのかよ!※大意」

これは女性の売春について、「女はラクして稼げるからいいよな」と揶揄したり、「売春したい女性の権利を尊重しろ」と嘯いたりする男性への“対抗言説”だ。
この二十年間、何度この手の“対抗言説”を目にしてきたことだろう。
そして、そのたびに私は傷ついてきた。

まず、ブスが男を買春するという想定自体が顔が醜い女性を侮辱するものだ。
「ブスは男日照りで性欲に飢えている」という、それこそ男がブスを侮蔑するために用いてきたような差別のロジックを、同じ女性が容赦なくぶん回しているのだ。
これが性的な辱めであることはいうまでもないが、ブスは人の性を買うことを一顧だにしない、という人間性への貶めでもある。

次に、醜い女性は自分の顔をひとに見られることを恥じているし、汚物扱いされることをおそれているものだ。
金銭供与で男性に断れない状況を強い、内心キモがられ汚物扱いされていると知りながら「男を買う」ことがブスにできると思うか? 
きっと、醜い女性の大半がその状況を想像しただけで耐えられないだろう。
己のぶざまな姿態を躊躇なくさらけ出せるおっさんとはワケがちがう。

そして、最後に「ブスのまんこ」を“舐めれない”絶対的な汚物としている点。
言われた当事者がどんな気持ちになるか、懇切丁寧に“解説”しようかと思ったがやめた。
ほかの被差別属性に置換したほうが早い。*1

白人女性「男は黒人のまんこ舐めれんのかよ!」
日本人女性「男は朝鮮人のまんこ舐めれんのかよ!」
健常者女性「男は障害者のまんこ舐めれんのかよ!」

これらが通用すると思うか?

ブスには恥も外聞も、プライドも存在し得ないことを前提に展開される“対抗言説”。
同じ女性がブスを「うんこ」と同列視したあげく、汚物として男に投げつけているのだ。
「どうだ汚いだろう?」「どうだ舐めれないだろう?」「やれるもんならやってみろ」と。

これが差別じゃなくてなんなんだ。

当たり前だが、ブスの風俗女性/売春女性、性被害者だって山ほどいるだろう。
顔面クリーチャーの私でさえ、買う側ではなく買われた側だったのが現実だ。
そもそも、私のように性売買へ足を踏み入れた要因が「顔」だったという女性もいるはずだ。
性売買や性被害の経験の有無を問わず、すべての顔が醜い女性を侮辱するものだ。

男からは性加害され、女からは性加害さえされない汚物だとされ、顔が醜い女性への差別はいつだって差別として認識されずに隠されたままだ。

***

この火の玉ストレートなブス蔑視発言は、ある【反性売買派の】元風俗女性がツイッターで発信したものだ。
もう何ヵ月も前のことなので、ご当人も覚えていらっしゃらないかもしれない。
その方は今も精力的に性売買やルッキズムを批判するツイートを発信し続けている。

ほかにも、【反性売買派の】元風俗女性によるブス蔑視発言を複数確認しているが、多くは何が差別に当たるのか知らないことに端を発した、(たぶん)悪意のないものなので取り立てて言及するつもりはない。
顔が醜い女性の声が極端に少ない現状では致し方のないことだからだ。

だけど、先の蔑視発言については明らかな差別であり、古いツイートではあるけど見過ごしてはいけないと強く思っている。

実は「男はブスに買われて、ブスのまんこ舐めれんのかよ!」という発言は不正確かもしれない^^;
あいまいな記憶に頼るしかないのは、スクショを撮ることに気が引けて現物を残していないからだ。
そんな罪悪感が「怒り」に変わるまで数ヵ月を要し、そこからさらに「怒り」を抑制できるようになるまでに数ヵ月がかかった。
だから、記憶ちがいの部分があるかもしれないことをご承知おきください^^;
また、今さら数ヵ月前の発言を問題視するのは、そのような事由からだ。


許す許さないの問題ではないけど、あえていうなら、私はこの蔑視発言を“許さない“。
なぜなら、多くの人が当たり前のように「許される」と思っているからだ。
「その程度」「たかが言葉」「たったの一言」「大したことじゃない」
そうして、すぐさま過去の過ちとして忘却の彼方に葬り去ってしまう。

「次行ってみよう!」と。

いかりや長介ばりの掛け声が聞こえてきそうだ。

「言葉の暴力」は投げつける側にとって「たったの一言」かもしれない。
何の気なしに蹴飛ばす道端の小石のように、何の気なしに言い放つ「たったの一言」だ。
だから、罪悪感が希釈されるし、そもそも罪悪感を抱くことさえないのかもしれない。
蹴った瞬間に蹴ったことさえ忘れてしまう。

だけど、そんなだれかの何気ない「たったの一言」が、顔が醜い者にとっては、いくつもいくつも寄り集まって言葉の重石となってのしかかるのだ。
それが生涯背負うべき「業」として、生まれた時から人生に組み込まれている。
行く先々で醜さを罵倒/嘲笑され、顔を見られることに恥辱と恐怖を覚えてヒキコモリになれば、今度はネット上の数々の暴言にまた打ちのめされる。
「ブスのまんこ~」発言もそんな数々の暴言のうちの「たったの一言」にすぎない。
ただ、被害が過去の出来事にならず、常に現在進行形で続いていく苦しみを、多少なりともご想像いただければと思う。

数多いる罪に問えない罪人たちが己の犯した罪に向き合わず、同じ“失敗”を繰り返すごとに「次行ってみよう!」とやっていたら、殴られた被害者はどうしたらいいんだ。
“うっかり”人を殴って「次は気をつけよう」と反省しつつ、被害者を置き去りにして立ち去ったらおかしいだろう。
それに本来、“うっかり”人を殴ることなどありえないので、“うっかり”は全然うっかりではないことを究明しなければいけないはずだ。

あなたが前向きに自省して過ちを成長の糧とする傍ら、私はこの数ヵ月間、あなたが放った「たったの一言」にずっと苦しめられてきた。
人を傷つけたことを自覚していながら、なぜ何もなかったことにして勝手に幕引きを図ろうとするんだ。

当事者が声を上げないからか?
そのせいで被害者がいないと思っているのか?
たぶん、そうだろう。

だから、私はこうして声を上げることにしたんだ。

ただし、(現時点では)個人の責を問うつもりはない。
当該発言者に謝罪や何らかのアクションを望むものでもない。

私は「なかったこと」にしたくなかったのだ。
このレベルの蔑視発言を「次行ってみよう!」で流したくなかったのだ。

***

長いので分けます。

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*1:本来ほかの被差別属性を引き合いに出すべきでないし、そうすること自体が差別となり得ることも重々承知していますが、どうやっても喩えを用いないとわかってもらえない苦しみをご理解いただけると幸いです。