忘れられた戦場で

とあるブスの身の上話

看護師さんに嘘つき呼ばわりされた話

小四の夏休みに、今住んでいる地方へ引っ越した。

引っ越し後のまもないころ、いとこと出かけた際に私は車にはねられる事故に遭った。
横断歩道のない道路で、左右を確認せずに飛び出してしまったのだ。
骨が折れたわけでもなく軽傷だった。

近くで農作業をしていた大人たちが集まってきて救急車を呼んでくれた。
おじさんが私の頭をつまむと、そのたびに視界がぐにゃりと動いた。
おばさんが「あんまり触らないほうがいいよ」と言ってくれた。
自分の頭をさわってみると、少し堅いスライムみたいに頭が柔くなっていた。
事故で頭を打ったのがわかった。

救急車が到着した。
祖父母宅が近隣だったので、いとこたちはそのまま帰宅することになった。
私は知人や友人の前で強がる癖があって、「車にはねられたのにノーダメ」であることを面白いことのようにアピールしながら、威勢よく立ち上がると自力で歩いて、ひとりで救急車に乗り込んだ。

若い男性の救急隊員二名と、年輩の女性の看護師さんが乗っていた。
看護師さんが同乗していた理由は不明だが、おそらく事故に遭ったのが子どもだったのと(子どもは女性がいると安心する的な)、病院から事故現場までの距離が近かったからじゃないかと思う。

病院に到着するころになると、私の視界はルーレットのようにぐるぐるとフル回転していた。
頭を打ったせいだろう。

立ち上がれない。

「あの、ちょっと目が回って…」と私が言うと、看護師さんが言った。

「さっき、歩いて救急車乗ったじゃないのよ!自分で歩けるでしょ!立ちなさい!」

え…?え…?
なんで怒られてるんだろう?なんで?

私の頭はパニック状態に陥った。
看護師さんから怒られることを、まったく予測していなかったので動揺した。
しかも、怒りのメーターが振り切れているぐらいのヒステリックな怒鳴り声だったので、私は焦りに焦っていた。

それらの言葉の一つひとつに強いショックを受けた。
嘘つき呼ばわりされているも同然だった。

私はなんとかして必死に立ち上がろうとしたが、どうにも目が回ってしまい尻を浮かせることすらできなかった。
その間にも、看護師さんは座り込んだままの私に向かって、まくし立てるように怒声を飛ばしていた。

すると、救急隊のお兄さんたちが、正面から私の顔を覗きこんだ。
視界の真ん中で、救急隊員の顔がぐるぐると回っていた。

すでに私は自分の顔が醜いことを自覚していたころだったので、そんな状況下にあっても至近距離で顔を見られることに羞恥を覚えた。
見せてはいけない恥ずべき醜いものを、見ざるを得ない状況に置かれた人たちに、強制的に見せつけているような罪悪感があった。

救急隊員たちは、しばらくジーッと私の顔を覗きこんだあとに言った。

「あー、ダメだねこれ」
「ホントに目が回ってる」

そう言うと、ようやくストレッチャーを出してくれた。

看護師さんはもとより、救急隊の方たちの対応にも困惑した。
「目が回って立てない」と本人が自己申告しているにもかかわらず、実際に目が回っていることを確認してからでないと信じてもらえなかったのだ。

「ホントに」ってなんだろう?
私になんのメリットがあって、そんな嘘をつかなければならないんだろう。
混乱した頭のなかで、そう思った。

人間は目が回ると他者から見ても瞳の回転がわかるということを知った。
もしも、頭痛や腹痛など客観的な事実を確認できない症状だったら、どうなっていたのだろう。

***

看護師さんの真意は知らない。
もしかしたら、私の男っぽい振る舞いをみて単純に嫌悪感を持っただけかもしれない。
あるいは、私が覚えていないだけで、失礼な態度をとったのかもしれない。

オトコ女だった当時の私は、女らしさの象徴である「弱さ」をさらけ出すことを恥と捉えていた。
これが男の子なら「男は強くあるべき」というプレッシャーでそうなるのだろうが、私の場合は「オトコ女のくせに似合わない弱さ(女らしさ)を見せてはいけない」というプレッシャーだった。
だから、人前ではめったに泣かなかったし、この事故のときのように何かにつけて「へっちゃら」をアピールした。
そして、そんなオトコ女はわりと女性からも蔑視や嫌悪の対象となりやすい。

また、目上の人に対して、しばしばクソ生意気な態度を取りがちだったのも事実で、この心理を言葉で説明するのは容易ではない。
ある場面では借りてきた猫のようにおとなしく、ある場面では手に負えないクソガキ、といった二面性があった。
それは「恥」をごまかすための態度だったのではないかと思う。

母と兄が私のことをよく小馬鹿にする人たちで、それを私は家の外で他人にやっていたのだ。
父親譲りのヘラヘラしたおどけ癖と、母親譲りの人をおちょくるような態度の両方を備えていた。

とにかく、上記のことは単なる想像にすぎず、看護師さんがなぜあんなに怒っていたのか、私には知る由もなかった。

だけど、その時の私は、まるで「ブスが交通事故に遭ったのをいいことに、ここぞとばかりに(救急隊の)男性に甘えている」と白い目で見られているような気持ちになってしまった。
子どもではなく、女の目で女としてジャッジされている、そう感じた。

私はマンガが好きだったので、その影響があったのかもしれない。
当時のマンガのなかのブスは、自分の生活を投げ打ってまで人の足を引っ張ったり、男漁りをしたりすることに全精力を注ぐような卑しい人物として描かれがちだったから、そのイメージを内面化した結果、そういう色眼鏡で見られていると感じただけかもしれない。

だけど、もしも私の顔面が人並だったなら、いくらオトコ女で多少生意気な態度をとったからといって、小学四年生の児童にそこまでの敵意は剥き出しにしていなかったんじゃないかとも思う。
その後の数々の“経験”を思い返してみても、やっぱり顔が無関係とは思えなかった。

私は一分の隙もなく非のないように生きなければならない。
無理をしてでも人に頼らずに自分でやらなければいけない。
それでも誰かに助けを求めざるを得ないときは、非の打ちどころのない完璧な被害者でなければならない。
そうでないと、私のことは誰も信用しないし助けてもくれない。
そういう感覚をずっと心のどこかで持ち合わせていたが、この一件でますますそれが強くなった。

事故のあと、たびたびお腹が痛くなることがあって、特に病院へ行く途中で毎回路上に座り込むようになった。
私が「お腹が痛い」と言ってうずくまると、母から「そんなわけないでしょ!立ちなさい!」と怒られた。
看護師さんと同じだった。
実際に痛くてたまらないのに信じてもらえず、どうしていいかわからなかった。

その年から小六になるまでの三年間、毎年夏になると謎の腹痛に見舞われた。
当時は引っ越し先の、あたらしい土地の水道水が体質に合わないのだと思いこんでいた。

だけど、19のときに、母からそれが精神的なものによる症状だったことを聞かされた。
私の腹痛を医師に相談した際にそう言われたそうだ。
母はそれを事故に遭ったこと自体がトラウマ化したと思っているようだったが、傷は軽傷だったし後遺症もないような軽い事故でそんなことになるヤワな子どもはいない。

私はその話を聞いて、真っ先に看護師さんと救急隊員のことを思い出していた。

事故に遭ったとき、9才だった。