忘れられた戦場で

とあるブスの身の上話

シスターフッドの向こう側

いくつになっても、惨めで情けない自分に気づく瞬間はつらいものだ。

私はあきらかに「美人」に媚びていた。
昨年になるまで、そのことに露ほども気づいていなかった。

ブスの場合、いったん白旗を上げて男に隷属したとしても、時間が経てば再び反骨精神を抱けるようになることが多いんじゃないかと思う。
「男」は人生をつぶしてくれた張本人だ。
“思い出”の引き出しをひらけば、男たちの憎悪に満ちた表情とともに、その所業がよみがえる。
濡れた雑巾を顔面に投げつけられたり、ジャージに精液をかけられたり、英語の教科書をグシャグシャにされたり…。
どうあがいても、そんな人たちに心から隷従できるようにはならないだろう。

だけど、私は自分が「女性」に畏怖の念を抱いていることに気づいていなかった。
とりわけ、「美人」への媚びとおそれは強烈なものだった。

その“気づき”は自分のなかで革命的だった。
なにしろ幼稚園児の頃からずーっと「美人」を上位に置いてきたモブの私が、アラフィフにして初めて媚びていることを自覚したのだから。

そのことに気づいた昨年から、ひとりで怒ったり沈んだりをくり返していて、当初よりその波が小さくなってきたとはいえ、今もまだ若干不安定な状態が続いている。
私の発言が一周回って名誉男性みたいなことになってしまっているのはそのためだ(申し訳ないです…)。
もうしばらく時間を置けば、この怒りの矛先は再び「男」に向かうものと思う。

そして、この怒りは「美人」を畏怖するあまり、「ブス」をないがしろにしてきた自分自身に対する怒りでもある。

***

すでに四十過ぎてからの話。
コロナ禍になる前、正月に親戚が一堂に会したときのこと。

従姉妹のお姉さんは若いころ評判の美人だったが、娘は彼女とあまり似ていなかった。
だけど、我が母曰く「●ちゃん(従姉妹)が小さい頃にそっくりね」とのこと。
すると、お姉さんが若干声を荒げながら、「似てますかね!?」と不服そうに聞き返したのだ。

といっても、あくまで、私からはそう見えたというだけの話だ。
本当のところは、ちがうかもしれない。
ともかく、お姉さんの態度が「娘といえど美人の私と一緒しないで」と言いたげに見えたのだ。
そんなお姉さんの心情を私は(勝手に)察知して、なぜだかとても焦ってしまい「似てないよ!ぜんっぜん似てない!」と、やや声を張り上げながら我が母に抗議するように言ってしまった。
「お姉さんの美人度はそんなもんじゃございませんよね?」と、さながら王様にゴマをする家臣のような卑しさだった。

まさにモブ。

彼女の娘は隣室にいたので聞こえていないと思うが、私の頭からは娘さんのことがすっぽりと抜け落ちていた。
ゴマすりの直後に、もしかしたら(もしかしなくても…)、却って失礼だったかもしれないと気づいた。
その時でさえ、「こんなブスにまで娘をブス扱いされたくない」とお姉さんに思われたらどうしよう、と的外れな浅慮にしか至らなかった。

***

上記のことを思い出しては罪悪感で押しつぶされそうになる。
私も子どもの頃に大人から顔のことを言われ傷ついてきたが、自分がされたのとまったく同じことをしてしまったのだ。
しかも、これはそんなに昔の話ではない。

ブスにとって最後まで解けないミソジニーの呪いは「美人への畏怖」なのかもしれない。

そして、この呪い(媚びとおそれ)に気づいたきっかけが、↓以下で書いた性売買経験女性たちによるブス蔑視発言に触れたことだったのだ。

前編・シスターフッドの外側で - 忘れられた戦場で
後編・シスターフッドの外側で - 忘れられた戦場で

SNSで複数人のブス蔑視発言に遭遇したときに、このまま黙っていると今後も永久に同じことが続いていく、という途方もない虚脱感に襲われた。
今までの二十年がそうだったように、これから先も。
だから声を上げることにした。
そうして、言葉を慎重に選別しながら、ブス差別発言をしないよう「お願い」を考えているうちに、ようやく“気づき”の瞬間が訪れたのだ。

なぜ、相手が女性だと、私はこんなにも忖度してしまうのだろうか。

そこで初めて自分が女性に対して「媚びとおそれ」を抱いていることに気づいた。
特に美人相手だと、それだけで気骨が折れてしまう。
私は身分をわきまえて美人に逆らわぬよう、よく訓練された犬だった。
過去に何度も「ブスが美人に嫉妬してイジメる」という濡れ衣を、“男から”着せられてきた成果だ。

媚びている自分に気づいた時は、泣けて泣けてしょうがなかった。
悔しいやら情けないやら…。
親戚の集まりでの一件を思い出して、自分のバカさ加減にさめざめと泣いた。

 

前述した【シスターフッドの外側で】というブログ記事で、ブスに対する蔑視発言を「許さない」と書いた。
また、その理由を多くの人が「許される」と思っているからだとした。

そして、その多くの人のなかには、顔が醜い当事者も含まれる。

当事者も多くの人たちと同じ目線に立って、三人称視点から自身を見ていることが多く、そのため物分かりよく「許される(しょうがない)」とあきらめてしまっていることが多い。

だけど、理不尽な扱いを甘受してしまうと、それは自分のことだけでは終わらない。
同じ苦境に立たされた人に、無意識のうちに同じことをしてしまうようになる。
私が従姉妹に媚びるあまり、娘さんの存在を忘れて思慮に欠く発言をしてしまったように。

前回記事で、あえて強めの言葉を用いたのはそのような経緯からだ。

ミソジニーが発端の「女性への畏怖」という複雑怪奇な心理現象に気づいてから、これはブスのなかにある“最後の呪縛”ではないかと考えるようになった。

きっと、同性と対等な関係を築けてきた女性には理解できない感覚だろう。

自己無価値感が強く、上下関係ができやすかったり、共依存関係に陥りやすかったりする女性は、同性への優越感か劣等感(畏怖)のいずれかを具有している。

その優劣はまんま顔の美醜により序列化されている。
顔が醜い女性はその序列化に気づき、抗わなければいけないと思う。

いいたかったことは、それだけ…。

***

前回、まるで特定個人を名指しするような体になっていますが、それらを含めて「多くの人」に向けたパフォーマンスとしての意図があり、そのようにご理解いただけると幸いです。
だけど、個人攻撃として受け取られてもおかしくなかったし、そのような手法は採るべきではなかったとも思います。

個人的な恨みはまったくないし、個人に向けた内容でないことは、改めてここに明記しておきたいです。

もしも、深く傷つけてしまった方がいらっしゃいましたら、本当に申し訳ないです。