忘れられた戦場で

とあるブスの身の上話

女性差別の震源地 2/4

私はブログやツイッターを始めるにあたって決めていたことがあって、それは「下手に出ない」ということ。
だからといって、別に居丈高に振る舞おうというわけじゃない。

「下手に出ない」というのは、要するに「媚びない」という意味だ。
長年、見過ごしてきた自身の“あきらめポイント”を、私自身があきらめずに見逃さないという意味でもある。
見逃さずにきちんと他者から見える形で疑義を呈することが大切だと思っている。

ほかの被差別属性だったら通用しない扱いがブスに対しては許されている、これまでに何度も何度もそう感じてきた。
その理由は明白で、“ブス”が全方位から差別されているからだ。
社会のサンドバッグといっても過言ではない。

例えば、「性格ブス」という言葉を差別だと指摘されて、納得できる人はあまりいないだろう。
「顔じゃなくて性格のことを指しているだけだから」「言葉狩りだ」そう思う人が多いんじゃないかと思う。

では、これをほかの被差別属性に置き換えたらどうか。
性格に難があることを「性格障害者」と表現したとして通用すると思うか?
「障害じゃなくて性格のことを指しているだけだから」と、なおも堂々と主張できるだろうか?
当然そんな発言をしたら大炎上まちがいなしだ。
それなのに、こと“ブス”においては「性格ブス」どころか「●●おブス」という差別的な用語を、女性誌までもがカジュアルに用いているのが現状だ。

このように、ブス差別は日常に溶けこみすぎて、自室の壁紙のごとく背景化してしまっている。
なにが差別にあたるのかを提示することさえ困難だ。

私が差別を訴えなければならない相手は、ほかならぬ差別をしている人たちだ。
そういう意識を明確に持っている。
世の中の大半の人がナチュラルにブスを蔑視しているのだから当然そうなる。

だから、言いたいことは「一緒にブス差別に反対してください」じゃなくて、「あなたの中にある差別意識に気づいてください」だ。

もしも、私がもっと低姿勢でいたら、今より耳を傾けてくれる人は多かったのかもしれない。
だけど、それでは向こう岸から涼しい顔で双眼鏡を覗きこんでいる人たちの欺瞞性を暴くことはできない。
低姿勢が有効なのは対等な位置にいる相手だけだ。
被差別者が差別者相手に下手に出れば、却って差別を固定化してしまいかねない。
というか、ブス差別においては、すでにそういう状況になっている。
誰かの徳を積みたいという自己満足のために、「かわいそうな人」として消費されるのはまっぴらごめんだ。

なにを傍観者を決めこんでやがる?
むかし、学校でブスをバカにしていたあいつらは何処へ行った?
ヤツらが大人になった姿がおまえらだろうが。
そんな気持ち。

目指したいのは、真の意味での「ブス差別の可視化」だ。
それは差別の解消より何より前に来る、準備段階のようなもの。
差別をしていることに気づいていない人たちの、内なる差別意識を引きずり出して白日の下に晒すこと、それをしないと何も始まらない。

なにが差別なのかを知らなければ、なにが差別の解消になるのかだってわからないからだ。

***

マイノリティ女性のあいだにも階層がある。
(これを私の拙い文章力で説明できるかどうか不安なのだけれど^^;)

その階層の最底辺にいるのが“ブス”だと私は考える。
前回書いたように、女性という属性が顔の美醜で序列化されているからだ。

間違いのないようにしておきたいのは、けっして個別の事例や被害の度合いをくらべて「ブス(私)が一番つらい」と不幸マウントを取りたいわけじゃないということ。
あくまで、これは構造的差別のお話だ。
例えば、女の子が男をイジメることがあったとしても、男尊女卑社会に変わりがないのと同じ。
だから、個々人ではなく社会的構造の話だとご理解願いたいです。

女性の場合、男によるド直球のブス差別には怒ってくれる人が多い。
だけど、差別発言の主がマイノリティ女性だったりすると、途端にトーンダウンしてしまう。
そこにあるのは、マイノリティへの配慮や遠慮だけじゃない。
女性自身が「“ブス”相手ならこの程度の発言は許される」という差別意識を内包しているからだ。
ほかのマイノリティ女性と比較し、無意識のうちにブスをふるい落としてしまう。
「ブスよりこっちのほうが重要」と。

そんなふうに一段低い場所を定位置とされることこそ、ブスがより差別された存在であることの証だと私は思っている。

かつて、ブスをイジメたり蔑んだりしていた女の子たちが、価値観が変わるきっかけを持たないまま大人になるのだから、意識に変革がないのは致し方のないことだ。
せいぜい、「ブスにブスと言ってはいけません」ていどの“良識”を身につけるだけ。
根本的な部分は何ひとつ変わっていない。

ブスもマイノリティ属性のひとつだが、ほかのマイノリティ女性には通用しない扱いが、ブスに対してはまかり通っている。
ほかの属性がアウトならブスにだってアウトのはずなのに、「性格ブス」という言葉に象徴されるように、差別が日常風景化してしまっているため、なかなか気づいてもらえない。

男の差別はわかりやすく、女の差別はわかりにくい。
男の差別の多くは悪意があるが、女の差別の多くは悪意がない。
ブス差別には、そんなちがいがある。

そして、男が女にしてきたことを、女もまたブスにしている。
それが何を意味するか?

次回から、より具体的な内容で詳述する予定です。

***

残りの二回はツイッターの話題となります。
ツイッターを見ていない方もいらっしゃると思うので、説明を交えながら書きます。
それをもって、ツイッターの話題は終わりにしようと思います。

*次回記事*

busu.hatenablog.jp

*前回記事*

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