忘れられた戦場で

とあるブスの身の上話

塾に通う

【中一】

「ねえねえ、モアイ~*1、モアイの好きな人ってだれ?」

いわゆるヤンキーの女の子から、そう聞かれた。
一学期、最初期の地獄の季節を抜け出し、少し学校生活に馴れ始めたころのことだった。

いつもだったら、適当にごまかしたはずだが、少しだけ仲良くなってもらえた(と勘違いしていた)ことで気が緩んでしまったのだと思う。
私は本当に好きな男の名前を言ってしまった。
そして、それは瞬く間に広まった。

帰りのHRが終わると、隣りのクラスの教室から好きな人が出てきた。
周りの男たちは私の姿をみつけるや否や、「モアイがお前のこと好きだってよww」とその人をからかい始めた。
好きな人は「うるせー」「やめろ」と激怒していた。

後悔した。
うっかり人に心を開いてしまった自分のマヌケさを呪った。
己のバカさ加減のせいで、好きな人に迷惑をかけてしまうのが耐えられなかった。
私は責任持って事態を収拾しなければならない。

火消しのために工作を図ることにした。
好きでもなんでもない男のことを、「本当はこの人のことが好きなんです」と自ら吹聴することにしたのだ。
だけど、そのターゲットは慎重に選ばないといけない。
なにしろ、私が好きだと公言しただけで、そのひとが馬鹿にされてしまうのだから。

まず、同じクラスのなかから、好きになっても違和感のなさそうな容姿と性格の男子二名をピックアップした。
ひとりは本当に優しくて、私の顔のことを何も言ったことがないレアキャラだ。
そんな善良なひとを標的にしてしまうのは忍びない。
だから、消去法でもう一人の候補を“偽の好きな人”に選んだ。
その男から顔を嘲笑されたことがあったので、前者を標的にするよりはいくらか罪悪感が薄まった。

“偽の好きな人”は塾に通っていた。
「私が本当に好きなのは、この人なんです」という既成事実を作るために同じ塾へ通うことにした。
そのことも自ら周りに宣伝した。
そうすることで、“真に好きな人”が「モアイに好かれている」という理由で、バカにされることがなくなればいいと思った。

一ヵ月だ。
きっかり一ヵ月で辞める。
そう決めていた。

週に何回だったろうか。
とにかく、その塾へ通い始めた。

我が家は貧乏なので親には申し訳なかった。
塾で勉強する気など毛頭なかったので完全に無駄金だ。
しかも、不自然なほど家から遠い塾だ。
友だちがいるからそこへ通いたいと親には伝えていた。
夜だったので毎回、父が車で送迎してくれることになった。

塾の同級生たちは、私と同じ中学校の生徒しかいなかった。
ただし、私を除いて全員が同じ小学校の出身だ。
見知った顔ばかりだったが、気持ち悪い顔の私は出身校など関係なく、最初から除け者だった。

みんなは家が近所だったので自転車で通っていたが、私だけ遠方からはるばる車で通っていた。
「そうまでしてでも、“偽の好きな人”に会いたい」という自分を演出しているつもりだった。

塾には私に壁ドンした学年最高権力者のヤンキー男(→*)もいて、目が合うと舌打ちされたり、なんでお前がいるんだと云わんばかりの顔で睨まれたりした。
ほかの男からも突き刺さるような視線で「気持ちわりぃ」と罵られた。
塾が終わって帰る際に、下駄箱で“偽の好きな人”と遭遇することがあったが全力で無視された。
「悪く思うなよ。もしも私の顔のことを何も言わなければ、お前を“好きなひと”に設定することはなかったんだ」
そんなことを思った。
いくばくかの罪悪感は拭えなかったが、“真に好きな人”のほうが大事だった。

つらい塾通いは女友だちがいたおかげで、なんとか耐えることができた。
ただし、友だちが善かれと思って、“偽の好きな人”の情報を教えてくれるのがしんどかった。
興味ない…^^;

この塾通いは本当に精神的に大きな負担だった。

学校という戦場から帰宅すると、間髪入れずに塾という別の戦地へと赴かなければならないのだ。
学校だけでも限界なのに、塾へ行けばそこでもまた罵声が飛んでくる。
本当は学校から帰ったら一歩も外へ出たくなかったし、学校だって行きたくはなかった。
地べたに這いつくばり、歯を食いしばりながら、“一ヵ月”という目標に向かっていた。

私の好きになった人は、私が好きだというそれだけの理由で、周りからバカにされてしまう。
その火消しをするために、こんなことまでしなければならない自分が惨めで悲しかった。

美人でなくていい。
せめて普通の顔に生まれていたら、私が誰かを好きになっても、その誰かがバカにされるようなことはなかったのに。
そう思った。

一ヵ月は思ったより長く感じた。
あと少し、あと少し…。
毎日、暗い気持ちでひと月が過ぎ去るのを待った。

 

塾講師は三十歳ぐらいの、わりとイケメンな先生だった。
良い先生だったが、生徒を下の名前で呼ぶのが苦手だった。
みんなから「モアイ」と呼ばれている私が、本名の女の子らしい名前で呼ばれるのだ。
家族や親戚以外のひとから下の名前で呼ばれると、フリルとレースまみれの似合わないドレスを着て、周りから笑われていることに気づきながらもどうすることもできない、みたいな決まりの悪さを覚えた。
だけど、大人の男性に不信感しかなかった私を、“ブス”ではなく人間扱いしてくれて、かつ子どもとして見なしてくれることに「こういう大人の男性もいるんだ」と少し救われる思いがした。

ある時、塾の先生との二者面談があった。

先生「ノネ子の目は一重か?二重か?」
私「一重です」
先生「そうか。だからキレイな目をしてるんだな」

私は気まずさと居たたまれなさで、瞬時にして自分の顔が耳まで真っ赤になるのがわかった。
それを見た先生も、うろたえている様子だった。
「対応をミスった」と焦っているのが伝わってきた。

なんとかして醜い私を褒めようとしてくれた結果なのはわかっていた。
女の子は「キレイ」と言われたら喜ぶと思っているようだった。
だけど、私は顔のことに何ひとつ触れられたくなかった。

同情や憐みを受けるぐらいなら、罵倒されるほうがマシだ。

そして、きっかり一ヵ月で辞めた。
塾に通う前は先生のことにまで頭が回らなかったが、たった一ヵ月でやめてしまうことを、先生がどう思ったか想像すると苦しかった。

当初の目標どおりに、“一ヵ月”を乗り切った。
だからといって、達成感や充足感など得られるわけもなく、あとには虚無感と徒労感だけが残った。

塾通いの成果だろうか?
“真に好きな人”が、からかわれることはなくなった。

*1:私のあだ名