忘れられた戦場で

とあるブスの身の上話

記録 1/3

【2021~2022】

先月、当ブログのこちら(→*)で取り上げたブス蔑視発言をした女性が、ツイッターのアカウントを閉鎖されました。
彼女は某所でコラムを執筆しており、そちらも更新が止まった状態です。
真意はご本人にしかわかりませんが、私としては私が彼女の発言に抗議のツイート(→*)を投下したことが発端だったのではないかと思っています。

私は頭がよくないゆえ、自分の思考をまとめたりモヤモヤを言語化したりするのにとても時間がかかり、そのとき起こった出来事にタイムリーに反応できる瞬発力がありません。
だから、どうしても周回遅れになってしまいます。
そんな事情もあり、蒸し返すようで申し訳ないのですが、後悔しないためにも誤謬のないようにしておきたいと思いました。
また、文章構成力が低く端折ると却って齟齬が生じかねないので、過去記事の焼き直しとなりますが、改めてどんな経緯でブス蔑視発言に抗議しようと思ったのかを詳述したいと思います。
それによって、メディアのなかの“ブス像”ではなく、現実のブスがどんな感覚で生きているのかを、少しでも知っていただけたらと思います。

自分語りの極みといった冗長な内容なので読んでくださいとはいえないですが、この件にご関心のある方はお読みいただけるとありがたいです。
彼女の発言を取り上げた理由、名指しした理由についても書きます。
こちらを読み飛ばしても意味が伝わるよう、後日【あらまし】を書こうと思います。
また、その際に何がしたかったのかについても書きたいと思います。

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当初、このブログは「性売買」を主題に据える予定でいた。
「顔」について書くつもりは毛頭なく、また自分自身そのことに疑問を抱くこともなかった。
それが、いまやすっかりテーマを鞍替えし、身バレしかねない自分の過去まで切り売りしている。

なぜ、こうなったのか?
という私自身の“気づき”のプロセスのお話。

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昨年、SWASH代表のセックスワーク論記事を読んだことを機にツイッターを始めた。
代表に抗議するのが目的だった。
きっかけが性売買のことだったので、北欧モデル支持者の私は必然的に反性売買のクラスタに属するようになった。

その際、ツイッターのbioにブス/ヒキコモリ歴二十年という属性は書かなかった。
それらを明記すれば、だれからも相手にされないのはわかっていたからだ。
北欧モデル派の売春経験者としてツイートをしていたら、短期間のあいだに多くの方からフォローやいいねをいただいた。

そのころ、私はツイッターの新規アカウントに課せられる厳しいルールを知らず、いろんなNG行為をしていたところ、登録から2~3週間ほどしてあえなくBANされた。
しかも二度も^^;
三度目からはアカウントの作成自体ができなくなった。
そこで反性売買を訴えるブログを作ろうと思い立った。

私は18~20歳の二年間、テレクラで売春をしていた。
焦点を当てたかったのは、どんな心理過程を経て売春に至ったのかと、その後の影響についてだ。
それを書き記すことで、性売買経験者の「声」のひとつになれればいいと思った。

当初、顔と売春は自分のなかで「混ぜるな!危険」という取扱いだった。
それぞれがそれぞれの落ち度として作用すると思ったからだ。
だから、売春のことを書くなら顔のことは書けないと思っていた。
いつか「顔」のブログを開設することを思い描いていたが、そのいつかを先延ばしにしていた。

ツイッターをBANされてからも、北欧モデル支持者のアカウントを中心に定期巡回していた。
そんな折り、性売買女性発のブス蔑視発言を何度か目にした。
なかでも強烈だったのが、性売買に肯定的な男への対抗言説として発せられた「(男はブスに買われて)ブスのまんこ舐めれるのかよ!※大意」というツイートだった。
この発言の主を仮にAさんとしておく。
Aさんはとても博識かつ文才に長けた聡明な方で、元風俗女性としての立場から反性売買を提唱しており、インフルエンサーとしてめきめき頭角を現していた。
私は一回り年下の彼女にすっかり心酔していた。

そんなAさんから発せられた「ブスのまんこ~」発言。
ショックを受けた…わけではなかった。
なんとも思わなかったのだ。
痛みを感じていることさえ抑えこむ癖がついていた。
実際、ブス当事者の声が表にないのだから痛みを知らないのはしょうがない。
それに性売買経験者がルッキズムを強化するのはわかっていたので、性売買者の発言を追うかぎり必ずブス差別にぶち当たることも織り込み済みだった。
もしも、私がツイッターのアカウントを持っていたとしても、その時点でAさんに抗議しようとは思わなかっただろう。

ブス差別はほかの女性差別より優先順位が低いものだと思っていた。
性売買の問題でさえ解決していないのに、ブス差別なんて二の次だと思っていた。
あらゆる差別問題の最後尾に並んで、指をくわえながら「順番待ち」をしているのが“ブス”のあるべき姿だった。
ブスが自己主張をするなんてとんでもない。
おそらくは、世間のひとたちと同様にそう思っていた。
だから、「しょうがない」。

ただし、自分では平気なつもりでいたが、それ以来ツイッターを閲覧する頻度がめっきり減少していた。
不意打ちで喰らう蔑視発言を回避したかったのだと思う。

一ヵ月ほど経ったころだったろうか。
なんとも思わなかったはずの件のツイートの行く末が気になりだし、あとから掘り出してブクマしておいた。
とりわけ、Aさんの思慮深さが垣間見える発言を目にしたときほど、その発言が気になった。
「ブスのまんこ舐めれるのかよ」に対し、どなたかが「(男を買春するのはブスじゃなくて)男じゃないのか」みたいなリプをされていた。
それ以外は特段の批判らしい批判もなく、そのツイートはそのまま流れていった。

なんとも寂しい光景だった。
その時点で数千人のフォロワーがいたAさんの当該発言は、ほかのツイートが数百ものいいねやリツイをされるなか徹底スルーされていた。
きっと、引き合いに出されたのが“ブス”以外のマイノリティ女性だったなら、そんなふうに「なかったこと」にはならなかっただろう。

だけど、誰でもすべての差別に同じ熱量でもって向き合うのは不可能だ。
賛意を示すひとがいないだけマシだと思うことにした。【続く】

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