忘れられた戦場で

とあるブスの身の上話

記録 3/3

記録 2/3 - 忘れられた戦場で

【↑の続き】

今年の六月、三度目のツイッターのアカウントを取得した。
BANされてから一年が経過していたので、再取得が可能になったらしい^^;

今度は、ブス(顔面クリーチャー)/ヒキコモリ歴二十年という属性をbioに加えた。
そこに“アラフィフ”を付加すると、私自身お近づきになりたくない負の三連コンボとなる。
だけど、これが本来の私の姿だから後悔はない。

数ヵ月前から、Aさんは某所で反性売買のコラムを執筆するようになっていた。
ツイッターにその告知用の公開アカウントがあり私はフォロワーになった。
もともと性売買の考え方にはおおむね賛同しているので、件の発言はさておき「これはこれと」いう感じだった。

ただし、正直にいうと、そのころ彼女に不信感を募らせていたのは事実だ。
例えば、某セックスワーク論支持者のツイートを、彼女が「差別的な発言なのに削除してくれない」として怒っていたこと。
私の知る限り「ブスのまんこ舐めれんのかよ」も削除されることはなかった。
当初その理由を私は都合よく解釈していた。
フォロワーの多いAさんが特定のツイートを削除してしまうと誠実な人柄だから弁明しないと気が済まず、当該発言が衆目を集めることになり却って傷つく人が増えてしまう。
だから、あえて放置しているのだと思いこんでいたのだが、結局そうではなかったということ。
もっとも、これは私の勝手な思いこみにすぎないので、それで彼女を嫌悪するのはお門違いだった。
ほかにもルッキズム関連で気になる言動があり、そこからわりと急いで抗議のツイートを書いた。

***

そして、抗議のツイートをツリーにして投下した(→*)。
名前は出さなかったがAさんの発言を引用した。
性売買女性発のブス蔑視発言をいくつか見てきたから、彼女だけに向けた内容にはしなかったが、発言をストレートに引用したのは彼女だけだ。

最初は「釘を刺す」ぐらいの感覚だった気がする。
黙殺された差別に私自身が黙っていたくないという気持ちが強かった。
数ヵ月前のツイートだったのでご本人も覚えているかわからなかったし、謝罪を要求するつもりもなかった。
だれかの心に何かが刺さるのか刺さらないのか知る由もなかったが、それ以上できることは何もないのでそれでいいとも思っていた。
また、そんなもんだとわかっていたからこそ、気兼ねなくデカイこと言ってカマかけができるというのもある^^;

他方では、Aさんの謝罪をもって一件落着という希望的観測も抱いていた。
現実的に考えるとそれが最良の落としどころだからだ。
もちろん、私個人ではなく“ブス”宛として。
謝罪不要というのは、あくまで私見だ。
ほかにも傷ついた女性はいるし、特定の属性への差別だとの認識さえあれば、選択肢の一番めに浮かぶだろうという幾ばくかの期待感を持っていた。
たかだかツイッター上での一言だからこそ、たかだかツイッター上でひとこと謝罪すれば済む話だ。
少なくとも、私の考えはそうだった。
そのあとは今までどおりという展開が私の理想だった。
むろん、これらは個人的な願望にすぎない。

とにかく、抗議ツイを投下した。
そして、ほぼ同じタイミングで彼女のツイートがぱったりと途絶えた。
仮に彼女が自身の発言を覚えていなかったり気にも留めていないのであれば、素知らぬふりでスルーすることだってできたはずだ。
つまり、私の抗議が何らかの影響を及ぼしたと思われる状況だった。

そのことをもって、あろうことか私は日和ってしまったのだ。
彼女が罪悪感に打ちのめされているものと思ったからだ。
弱っている(かもしれない)人を見ると、すぐに「自×したらどうしよう」と思ってしまう習性がある^^;
そうして、つい「気にしないで」とか「当事者心理を伝えるためのパフォだった」とか見苦し言い訳をしたり、絶対にすべきではない“謝罪”をしてしまった。
我ながら救いがたいアホだ。

またしても、私は「顔が醜い女性」のことを軽んじてしまった。

いま思うと、相当な奴隷根性を発露していたと思う。
幼少のころから「女」に媚びへつらってきただけあって隷属意識が抜けきらない。
おそらく、己の顔貌への劣等感がなくならないかぎり、この隷属意識も完全に消え去ることはないのだろう。
もしかしたら、生涯治らないのかもしれない。

いまは私と「同じひと」に謝罪したい気持ちでいっぱいです。
日和ってしまい申し訳ないです…。

***

ほどなくして、別件を理由にAさんのツイッターのアカウントが表&鍵ともに削除された。
それを受けて、抗議ツリーに書いた「ブスのまんこ~」の発言者がAさんであることを明かした。

リンクは貼らないが、フォロワー数の少ない私のツイートのなかで、それはトップクラスのインプレッション数を誇っている。
つまり、それだけ閲覧した人の数が多いということ。
インフルエンサーの彼女の名前を出したことで、抗議ツイを見ていない人でも気づいた人が多かったのだろう。

もしかしたら、Aさんが最後までこの件に触れなかったのは彼女なりの気遣いだったのかもしれない。
あるいは、本当に別件が理由でアカウントを削除したのかもしれない。
いろんな可能性が考えられるが、真意はご本人にしかわからない。

しかし、私がこの件に触れない理由は何もなかった。
黙殺された蔑視発言に沈黙したくないからこそ、今さらすぎる抗議をしたのだから。

彼女の名前を出した理由は、まずアカウントが削除されたので配慮する必要がなくなったこと。
本来、差別した人に名指しで抗議することは何ら悪いことではない。
だけど、彼女の立場を悪くするのが目的ではなかったし、そう受け取られかねないので当初は控えていた。
名前を出すことで彼女に何かをしてほしいというより、一連の出来事(フェミニストが多そうなクラスタでのブス差別)を明るみにしたかったというのが大きい。

それから、件の発言を知っている人が、どんな反応をするか知りたかったのもある。
上述したように、彼女の名前を出したことで、私のツイートに気づいた人は多い。
例の発言をリアルタイムで見ていた人たちが、抗議する当事者が現れたときにどんな反応を示すか、特に彼女のフォロワーに多いはずの北欧モデル支持者がどうするかを見たかったのだ。

Aさんを名指ししたことで、私に嫌悪感を持っている方もいるかもしれない。
それどころか、二年前の私がいまの私を見たら心底軽蔑していたはずだ。
「そんな暴露めいたことをしたら、ますますブスへの風当たりが強くなる」
「男社会の問題なのに、よりによって個人の女性を追いつめるなんて」
そんなことを思っていただろうか。

だけど、そういう当事者は自身の痛みを軽度のものだと見誤っているにすぎない。
差別に抵抗したり抗議したりする権利があるのに、自分(ブス)さえ我慢していれば丸く収まると、端からあきらめる癖がついてしまっている。
相手が女性だから/悪気がないからといって、遠慮したりひるんだりする必要などないはずなのに(自戒を込めて…)。
そんな悪気のない「差別」を何千回喰らってきたか考えてみてほしい。
そのたびに何もなかったことにしてやり過ごすか、やんわりと「お願い」するかしかないのだろうか?

私は普通のことを普通に言えるようにしたいだけだ。

***

しばしば、“ブス”は誰かに投げつけるための「人間爆弾」としてピンポイントで指名される。
それまでブスのブの字もなかったところに、突如として“ブス”の二文字が躍り出て矢面に立たされる。
「ブスのまんこ~」発言も然り。
火のない所に煙は立たぬというが、ブスのいないところにブスは凶器として召喚される。
「人間爆弾」で最もダメージを負うのは爆弾にされた人間だ。

しかし、ブスの当事者性に光を当てようとすると、今度は蜘蛛の子を散らすように人がいなくなってしまう。
人間爆弾として指名するときとは打って変わって、ブス差別はおろか、ブスという存在さえ触れてはいけないものであるかのように扱われる。
当事者が差別の可視化を試みても、名前を言ってはいけないあの人状態になってしまうのだ。

そういう扱いこそが、まさしく差別ではないだろうか。

 

以上が私が抗議ツイートを投下し、Aさんの名前を明かした経緯となります。
そして、当ブログを始めた直接的なきっかけでもあります。

ここまで冗長な自分語りにお付き合いいただき、ありがとうございました。

***

次回は本件の【あらまし】、その後の反応etc.

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