忘れられた戦場で

とあるブスの身の上話

【後編】オトコ女を制する者は

【前編】オトコ女を制する者は - 忘れられた戦場で

【↑の続き】

「私も男に間違われるけど平気」「こわがらせて申し訳ない」
そんなことを言う“当事者”もいる(※→画像リンク)。だけど、これは差別の問題なので「私は平気/人それぞれ」はなんの説得力も持たないし持たせるべきじゃない。

殴られて平気な人がいるからといって殴ることを正当化できるだろうか?本人がかまわないと言っているからといって、その人は殴られ続けていいのだろうか?それがアリならセックスワーク論や代理出産だって「自己決定権の尊重」でおしまいだろうに。だけど、そこに自己決定とは言い難い「なにか」があるから、逆らってきたのがフェミニストと呼ばれる女性たちじゃなかったのだろうか。

ツイッターでチラと見たんだけど、ジェンダークリティカルな海外の団体までもが、男に間違われることを厭わない女性の話を美談に仕立て上げていた。つまり、女性のために差別を受け容れた女性をフェミニストの団体が褒めたたえているのだ。さしずめ名誉女性の勲章を授与された二級女性ってところだろうか。

本当に周縁化された属性がなんなのか一目瞭然じゃないだろうか。

「人の下に人をつくる」ということ

ここで前回に引き続き例え話をしてみる。
引き合いに出す「胸の小さな女性」には本当に申し訳ないのですが、ほかの属性に置き換えないとわかってもらえない痛みがあること、私自身も胸の小さな女性だということで何卒ご容赦いただければ幸いです…。

♦♦♦

例えば、「胸の小さな女性」が男でないことを証明するために、女子トイレで女性から胸を揉まれるというセクハラに耐えなければならないとしたら…。きっと、多くの人が人権問題だと思うだろう。
それでも、TGismのせいで男が女子トイレへ侵入しやすくなっているという喫緊の問題に対処するため、差し当たりその状況を許容せざるを得ないかもしれない。
だけど、きっとセクハラの苦痛を訴える「被害者」を非難する女性はいないはずだし、むしろ被害者がこれ以上理不尽な思いをしなくて済むよう、早急に設備や制度を見直しましょうと思うのが普通だろう。

それがなぜだか「被害者」がぶっ叩かれているのが今回のオトコ女の件だ。

そして、重要なのがここから。
「胸の小さな女性」が世間から被害者として認識してもらえるのは最初だけ。次の世代、その次の世代…とセクハラが慣習的に受け継がれていくことで、やがて被害者への不当な扱いは不当でないことになってしまう。差別が常態化するとそれを差別だと思える人がいなくなってしまうのだ。
その段になって当事者が声を上げても後の祭り。以前とちがって味方はほとんどいない。今度は被害者が非難される番だ。「しょうがないでしょ?だったら、どうすればいいの?」と。
オトコ女のこの件のように。

♦♦♦

それが「人の下に人をつくる」ということだと思う。

「男の加害を未然に防ぐためだから」「女性スペース限定の話だから」
最初はそのつもりでも、一部でも差別を認めてしまえば傷ついたステンレスのようにそこから腐食はひろがっていく。

女性の安全を守るためという大義のために理不尽を強いられる女性がいるのは本末転倒だし、システム上のどこかに欠陥がある証拠だ。
それを女性の忍従でもって解決策としたり、その解決策を正当化したり賞賛したりするような方向へ行ってはいけないのではないか。
それは女性のなかに「差別されてもいい人」を設定するのと同じことだと思う。

つまり、オトコ女はすでにそういう差別にさらされているということだ。
だからこそ、ツイ主さんを糾弾している人たちは、わきまえるべきは彼女のほうだと思っている。

オトコ女とミソジニー

もしも、女性たちがオトコ女を対等な存在と見なしていたら、男と間違われるという恥辱も女性の被害として分かち合うことできただろう。だけど、そうならないのはオトコ女を同じ女ではなく「別のなにか」だと思っているから。女性の被害ではなくオトコ女の問題だと思っているから。

♦♦♦

子どものころ、女の子たちの手によって「オトコ女」に仕立て上げられたという苦い経験を持つ女性もいるはず。しばしば、女の子の世界では力のない者が対外的に「強者」のポジションに就くことを強制される。弱いからこそ弱くいることを許されない。
弱さを見せることができるのは、こと女の子同士の関係性においては特権階級の証なのだ。
そんな子どものころの階級差が大人になってもそのまま継承されている。

女らしさから外れたオトコ女/美しさから外れたブス、どちらも男社会が強いる女性の価値観から外れた女という共通点があり、これらの属性への差別意識はそんなミソジニーが発端だ。
女性の性別を誤認することを私が「セクハラ」とするのはそれが理由で、そもそもなぜ女性は男性と間違われると傷つくのか?という問い立てから始めれば、そこに女らしさの強要やそれによる人間性の否定といった女性差別が根を張っていることに気づける。

なんら罪のないオトコ女を指弾する女性たちのナチュラルな差別意識は子どものころの序列、ひいては男社会における女性差別のなかに胚胎している。
男と間違われる恥辱を歯牙にもかけないのも、被害者であるオトコ女を加害者のように扱うのも、オトコ女をわきまえるべきほうに設定しているのも、ぜんぶ子ども時代の延長線上にある差別だ。
男社会の価値観を踏襲しながら、ミソジニーに屈しないオトコ女をミソジニストと断じる女性たち…。本当の意味でミソジニーを発露しているのはどちらのほうか明白ではないだろうか。

♦♦♦

TGismというトランスジェンダーを利用した男の権利拡大運動が女性たちを抑圧するたびに、抑圧された女性たちの矛先が女性のなかの少数派へ向かっている。
ここでも「上から下への一方向」の抑圧が発生している(※→参考記事)。
「トランス女性は多目的トイレを使え」と言うとき女性の障害者は隅に追いやられるし、「通報した女性は悪くない」と言うとき男と間違われる女性の被害は被害でないことにされる。

さらに強者/弱者の関係性がひっくり返るという、あべこべ現象のおまけつき(※→参考記事)。
ツイ主さんを女の敵といわんばかりにぶっ叩いている人が多いけど、彼女は「通報した女性を懲らしめたい」と言っただけで実際に懲らしめたわけでなく、またそれがかなうわけもなく一方的に男と間違われて通報されただけの被害者だ。その事実を誤認して被害に遭ったほうを悪魔化してしまうのは「忍従すべきなのに楯突いた」という差別意識があるからだ。

女性をマジョリティ側に設定してトランスジェンダー差別者のレッテルを貼るTRA、オトコ女を男側に設定してミソジニストのレッテルを貼る女性たち…、似ていると思いませんか?

かわいそうバトルの結末

ツイ主さんに批判的な人のすべてが女性だとは思わないし、暴言を吐いている人の多くはそもそも彼女の話を信じていなくてTGism推進派の創作だと思っているだけなのだろう。それに何も言わないだけで私みたいにおかしいと思っている女性もいるのだろう(と信じたい)。それでも考えずにはいられない。

「通報されたのはお気の毒~」で始まるこのツイートをAPP研リツイートするその裏で、お気の毒と言われた女性がその被害に口をつぐめと袋叩きにされている。

もしも誰かが以下のようなツイートを投下したとして、APP研がRTしてくれることはあるだろうか?いいね!をしてくれるフェミニストはいるだろうか?

すべての女性が嫌な思いするからと、“オトコ女”に桁違いの差別に晒されろと言える神経は分からん。なんで男が性加害するかもしれないからと本物の女性まで口を塞がれなきゃならないんだ。

そんなことを思ったとき、結局のところ少数派が本流になることはないのだと急転直下に悟ってしまい、数が少なければ異端扱いされる世界線でメンタルに不調を来してまで壁打ちを続けるぐらいなら、雑音のないブログで溜まった下書きを消化していくほうが賢明だと判断しツイッターをやめることにしました。
というのは後付けで、やめようと思うより前にマウスを持つ手が動いて、気づいたらアカウントを削除していたというのが本当のところです。

ツイ主さんの訴えを最後までまともに取り合う人がいなかったように、都合の悪いことから目を背けていたいのは人の常なのだろう。それが集団化すると数の暴力となり、少数派だとシャットアウトされるのは自分というだけ。そのちがいだけ。

♦♦♦

マイノリティ女性のあいだで対立構造が発生すると「かわいそうバトル」の様相を呈することが多く、よりかわいそうなほうが上位ランクになるのだけど、その審判を下すのは女性であるゆえ女性からも蔑まれている本当にかわいそうな女性ほど勝者になることはない。そうして、なにが正しいかではなくかわいそうに見えるほうが正しいことになっていく。

ツイッターで相互さんが「助けたくなるようなかわいそうな見た目をしていない(※大意」とおっしゃっていたのが印象に残っている。かつて学校にいた愛らしくないブスや強そうなオトコ女を思い浮かべたとき、自分たちと同等の価値ある人間だと思える人は少ないのだろう。

ノアの方舟に爬虫類は乗れないし、“女性のマイノリティ”のパイは端から決められているのだ。

♦♦♦

今回の事例のように“正義”でコーティングされがちな「女性の女性差別」は表面化することなく霧散しやすいので、せめて自分のブログにだけでも残しておきたくここに記します。

***

ツイッターでフォローしてくださった方、私のツイートを閲覧してくださった方に、この場を借りて御礼申し上げます。どうもありがとうございました。
亀の歩みではございますが、今後もブログは継続していく所存なのでよろしくお願いいたします。

*前の記事*

busu.hatenablog.jp

*関連記事*

busu.hatenablog.jp