忘れられた戦場で

とあるブスの身の上話

顔が醜いことの「苦悩の本質」とは

「あんた、この顔はいくらなんでもカワイソすぎるww」

中一のとき、友人からそう言われた。


では、顔が醜い女が「かわいそう」なのは何故だと思う?


男性から女扱いされず、彼女や結婚相手に選んでもらえないから?
それとも、女は生まれつき綺麗になりたい生き物なのに顔ガチャでハズレを引いてしまったから?
だから「かわいそう」?
どっちが正解?


どっちも不正解だ。


多くの人が誤解しているが、顔が醜いことの「苦悩の本質」とは、顔が醜いことそのものにあるわけではない。


日常的に人々から「言葉の暴力」でぶん殴られつづけたことで、能動性を喪失し心を病んで人生が破綻したこと。
それこそが、顔が醜い女が「かわいそう」な理由であり、醜いことの「苦悩の本質」だ。


***


私には夢があった。
幼稚園のころからの夢だ。
少なくとも小学校6年間はその夢のために努力を重ねていたといえる。
誰でもなれる性質の職業じゃないから、継続していたとして叶わなかった可能性のほうが高い。
それに子どもの頃の夢が持続する人はまれだ。
何もなかったとして途中でやめていたかもしれない。


だけど、いずれにせよ、私はスタートラインに立つことさえできなかった。


学校へ行けば、毎日だれかに顔を罵倒された。
「気持ち悪い」
この言葉を一日のうち何人の男からぶつけられたことだろう。
廊下や階段ですれちがうとき、下駄箱で鉢合わせたとき、教室で目が合ったとき…。
特定の人物から継続して加害される「イジメ」とちがい、罵倒してくる相手は日によってランダムに入れ替わる。
誰かが放つたったの一言が、私にとっては一日のうち何本も降り注ぐ槍の雨となって突き刺さった。
それが文字通り”毎日“続くのだ。
そんな毎日が数週間になり数ヵ月になり一年二年…と積み重なることで私の人生は形成された。

女子グループでは当たり前のように最下層民扱いだった。
誰より目立ちたくないのに事あるごとに矢面に立たされた。
女の子とは距離が近いぶん「見下し」の種類も豊富だった。
友だちと対等な関係を築くことができず、私は常に一段下の存在だった。


だけど、それは学校だけでは終わらなかった。


路上で通りすがりの中学生からすれちがいざまに殴る真似をされたり、私の顔を見るために待ち伏せされたりした。
バスの運転手に舌打ちされ、看護師さんに嘘つき呼ばわりされ、映画館やスキー場で居合わせたほかの客に「変な顔の人」と嘲笑され、教師には「おまえは顔も悪ければ声も悪い。いいところがひとつもない」と友だちの前で面罵された。

これらはすべて小学生の時に経験したことだ。

想像してみてほしい。

行かなければいけない義務教育の学校で、毎日それがくり返されるのだ。
必ず踏むとわかっているのに地雷原に突っ込む以外の道がない。


まさに戦場へ向かうような気分だった。


どこへ行ってもそこに人がいるかぎり同じことが起きた。
人が私を見るときの表情は実に憎々し気だ。
「前世でどんな大罪を犯したんだろう。」
輪廻なんか信じていないはずなのに、そんなことを思ったりした。


私は当たり前のように病んだ。
当時は精神疾患の知識などなかったから、病んでいることにも気づかなかった。
中2の半ば頃から生きているだけで精一杯という状態に陥った。
学業はそのころ脱落した。
何も手につかなくなり、ついに幼い頃からの夢もついえた。

たまにアナログ時計が読めなくなることがあった。
例えば、4時40分を指すときの短針が4時と5時のどちらを示しているのかわからなくなるという具合に。
中学生になるまでそんなことは一度もなかったので、勉強をしなくなったせいで知能が下がったと本気で思った。

そのころから遅刻をくり返すようになった。
遅刻癖は20代後半でひきこもりになるまで続いた。

小学生の頃は当たり前のように大学に行くつもりだった。
高1の春に大学進学をあきらめた。

これらは私の「顔」にまつわる経験のほんの一部にすぎない。


***


私の人生が破綻した原因はなんだと思う?
私の顔が醜いせいか?
醜く生まれついた「運命」のせいか?


ちがうだろ。


毎日毎日、「言葉の暴力」でぶん殴られ続け、そんな日々が何年も続いたせいで破綻したんだ。


その「言葉の暴力」は不可抗力か?
それは空から降ってきた避けられない自然災害か?
「しょうがない」とか「運が悪かった」とか、そんな不可抗力のせいか?


加害者がいるのに、なぜ「なかったこと」にされているんだ。


人と比べられることや、メディアが煽る外見至上主義も間違いなく生きづらさの要因となり得るだろう。
だけど、顔が醜い者にとって、直接受ける「言葉の暴力」こそがまさしく暴力であり被害経験そのものなのだ。


顔が醜い女がかわいそうなのは、顔が醜いからではなく、醜いことを「かわいそうww」と嘲笑するような人がごまんといるからだ。


私は自分の経験を「なかったこと」になどしたくない。