忘れられた戦場で

とあるブスの身の上話

ブスのその後の人生

小中学生のころ、同級生にふたり「ブス」が原因で、イジメられている女の子がいた。
ひとりは私が小五~六のときのクラスメイトで、もうひとりは中一のときのクラスメイトだった。

どちらの女の子も、私みたいな人外系ではなく、むしろ私見ではそこまでブスだと思わなかった。
二人とも肌がきれいだったし、顔も左右対称だった。
だけど、イジメられていた。
一旦イジメに発展してしまうと、“リセット”するのは難しい。

「イジメられっ子」、それは女どうしの関係性において「お笑いブス」のポジションに就かなかったブスの行き着く先だった。
もしも、私も「お笑いブス」の地位に甘んじることがなければ、彼女たちと同じかそれ以上にひどいイジメに遭っていたことだろう。

ただし、どんなポジションに就いても、ブスが男から攻撃されることに変わりはない。
「イジメられっ子」と「お笑いブス」のちがいは女の子との関係性だ。
女どうしのしがらみから解放される代わりに女からもイジメられるか、女の子の輪に加えてもらう代わりに都合よく矢面に立たされるか、その二択しかない。
どちらに転んでも地獄が待っている。

 

中学校卒業後、ひとりは県内の偏差値が低いことで有名な女子高へ、もうひとりは商業高校へとそれぞれ進学した。
二人とも成績が悪かったが、その理由はわかっていた。
私が中二のときに勉強が手につかなくなったのと同じだ。

三者から見れば、“見た目通り”に頭の悪いブスが、身の丈に合った生き方をしているにすぎない。
だけど、当事者目線で見れば、それは正しくない。

毎日、「言葉の暴力」で殴られつづける日々のなか、どうしたら勉学に励み好きなことに打ち込めるだけの気力と集中力を保っていられただろうか。

私はたびたび「殴られる」と表現しているが、これは比喩でもなんでもない。
「気持ち悪い」「ブス」「変な顔」そんな言葉をぶつけられるたびに、前頭葉のあたりをハンマーで殴られたような打撃の衝撃を受けるのだ。
それは身体的な症状として実際に出現するものだ。
だからこそ、「言葉の“暴力”」「殴られる」と言い続けている。

あらゆる気力が消失したことで「意志が弱い」と自分を責め、積み重なっていくだけの重石を取り除く術もない。
そんな十代を焦燥とあきらめが交錯するなかでやり過ごし、気づけばこの手には何も残っていない。

ひとりの時間に何も為さなければ何者にもなれない。

***

何の因果か、大人になってから、私はその二人とそれぞれ“再会”を果たした。
いや、“遭遇”といったほうがいいかもしれない。

私が二十代後半でひきこもりになり、2ch漬けの日々を送っていたころのこと。
なんと2chの某板で、小学生のときに「ブス」でイジメられていた女の子を見かけたのだ。
彼女はみずから立てたと思しきスレッドで、自身の卒アル写真をさらし、ブスでイジメられていたことを告白していた。

最初、なりすましを疑ったが、特徴的だった「~だわ」「~わよ」という彼女の口調が文字の会話でも見事に再現されていたし、職場の話などが“ブスならでは”のリアルな内容だったことから、これは本人だろうと判断した(もちろん断定はできないけど)。
どうやら、彼女もまた、ひきこもりになっているようだった。

2chで卒アル写真をさらすぐらいだから、相応の勇気と覚悟をもって臨んだのだろう。
だけど、スレッドは大して盛り上がることなく沈んでいった。
まるで、ブスの置かれた社会的地位を象徴しているかのようだった。

 

さらに月日が流れ、三十代前半になったころのこと。
私は相変わらずひきこもりだったが、自宅のベランダで少しだけ園芸を始めるなど、以前よりは外に出られるようになっていた。

そのころ、毎年クリスマスになると、地元の図書館の視聴覚室で無料のミニコンサートが開催されていた。
母と私は常連になりつつあった。
客は四十人ていどだったと思う。
客の大半を高齢者が占めるなか、三十代前半の私は若干浮いた存在だった。

ある年のミニコンサートで、中学時代に「ブス」でイジメられていた女の子が母親と一緒に来ているのを見かけた。
公演が終わって部屋が明るくなったときに、前方にいた彼女がうしろを振り返ったことで気づいた。
彼女は何年も切っていないであろう長い髪を下ろしていた。
伸ばしている髪と伸びきった髪は一目で見分けがつく。
私と同じく、ひきこもりになっているように見えた。
ニコンサートを観るための外出も、かなりの勇気を要したことだろう。

彼女と目が合うことはなかったが、私が彼女を認識できたように、彼女もまた私を発見したのではないかと思う。
そして、私と遭遇したことで、翌年からはもう彼女がコンサートに来ることはないだろうとも思った。
クリスマスの夜に母親とふたりで、市立図書館の無料コンサートを観に行くアラサー女など、あまりいないだろう。

イジメられていた彼女たちも、(女の子のなかで)お笑いブスの地位にいた私も、結局は同じ場所に帰着した。
そう、「帰着」だ。
本来あるべき自分の姿に戻ったのだ。

***

だれも知らない。
知ろうともしない。
これが、かつて誰しもの隣りにいた顔が醜い女の「その後」の人生だ。

苦境を乗り越えた者はだれもいない。
みんな人生の消化試合の最中にいた。

だれの記憶の片隅にも残らないまま、痛みを共有できる仲間もなく、この忘れられた戦場でそれぞれがひっそりと暮らしている。

彼女たちを2chや図書館で見かけたのは遠い昔の話だ。
今どこで何をしているかは知らない。
生きているのか死んでいるのかもわからない。

いずれにしても、ひきこもりのゴールはひとつしかない。
きっと、私と同じく「その時」を待っているのだろう。

その時が来るまで、ただ生きるだけ。