忘れられた戦場で

とあるブスの身の上話

ブスだと自覚したきっかけ

以前書いたように、人生で初めて「ブス」と言われたのは幼稚園のときだった。
ただし、その記憶は二十代後半になるまで思い出すことがなかったので、なんとなく漠然と自分がブスだと知りつつも、まだはっきりとは自覚していないという状態だった。

今回は、罵倒が日常化するより以前の「顔」にまつわる出来事と、はっきりと醜いことを自覚したきっかけについて書きます。

 

【小一】

学校から帰る途中、知らないおじいさんから「いい顔だ!うん、いい顔だ!」「よし!一緒に帰ろう!」と言われ、いきなり手をつながれた。
そのまま手を引かれながら歩いたが、私がウンともスンとも言わなかったせいか、おじいさんは壊れたスピーカーのように、「いい顔だっ!」とくり返すだけだった。

園児のころ、私をイジメる男の子たちに理由を尋ねたら「ブスだから」と返されたことがあったが、その記憶がすっぽり抜け落ちていた私は「いい顔」の意味がわからず戸惑うしかなかった。
それでも、「顔がかわいい」と褒められているわけじゃないことは、しっかりと理解していた。
底知れぬ恐怖を感じて終始無言を貫いた。

あとから思うと、「女の子なのにこんなに醜い顔に生まれてしまってかわいそうに」という、ブスな女児の未来を憂えたおじいさんなりの同情心やエールだったのではないかと思う。

もっとも、醜い女が過酷な人生を強いられるのは男のせいなんですけどね。
意味がわかったときに却ってダメージが増すだけなので、余計なことはしないでほしいと思う次第です…。

***

同じクラスの高身長男子から、よく「おまえの母ちゃん、すっげーブス!」と言われた。
思い返せば、幼いころは高身長男子から攻撃されることが多かったように思う。

私自身は遺伝子のイタズラにより顔面クリーチャーに生まれてしまったが、母はどちらかといえば美人なほうで、五つ上の我が兄が小学校入学の記念撮影をした際に、写真スタジオから頼まれて母と兄のパネルが店頭に飾られたこともあった。
だから、母の顔を見たこともないはずの子から、母がブス扱いされることは心外だった。

あまりに悔しくて、家に帰ると母の前で号泣した。
「●くんがママのことブスって言った!見たことないくせに!」と私がギャン泣きすると、母は少し困ったような微笑を浮かべた。

本当は母がブスと言われたわけではなく、私がブスだから「おまえの母親もどうせブスだろ」と言われているにすぎなかった。
そのことは母もわかっていたはずだから、微妙な気持ちだったろうと思う。

 

【小三】

放課後、友だちと校庭の鉄棒で遊んでいたときのこと。
上級生の男が数人、前を通りかかった。
そのうちのひとりが立ち止まると、私の顔を無遠慮に凝視しながら言った。

「変な顔」

居たたまれない。
どうしていいかわからなかった。
男の友人たちからは何も言われなかったことが、せめてもの救いだった。
ずいぶんと長い時間、上級生の男と見合っていたような気がした。

上級生が立ち去ると、一緒に遊んでいた友だちが集まってきて、口々に「大丈夫?」と聞かれた。
こちらもまた、どうしていいかわからなかった。

 

【小四】

学校が終わって友だちと校庭を歩いていたときのこと。
偶然に鉢合わせた上記と同じ上級生の男から、またもや同じことを言われた。

「変な顔」

同じ人からの、二度めの「変な顔」だった。
珍しいゲテモノでも見るような目つきで、私の顔をジーッと見ていた。
この件で私と私の友人がどんな反応をしたのかは思い出せない。

***

親友と歩いていたときのこと。
彼女は私の後ろから前方へ回りこむとこう言った。

「ノネ藤さん、うしろから見ると美人なんだけど、前から見るとちょっとねー」

上級生と私の親友…、面識のないはずのふたりの人物から、別々の日時にそれぞれ顔が醜いことを指摘されたのだ。

自分の顔が醜いことを知るには、それで十分だった。