忘れられた戦場で

とあるブスの身の上話

フェミニストによるブス差別 2

フェミニストによるブス差別 1 - 忘れられた戦場で

【↑の続き】

前回までの記事は少し前に書いたもので、あれから変化があった。
現在、Aさんの鍵アカウントは復活している。
そこで気づいたのだが、どうやら私は大きな思いちがいをしていたようだ。

おさらいがてら、ざっと経緯を書くと、発端はAさんの「ブスのまんこ舐めれんのかよ」という発言に、私が抗議のツイートを投下したことだった。
その後、Aさんのツイートやコラムの更新がピタリと止み、ツイッターのアカウントが削除された。
そのことを、てっきり彼女が人(ブス)を傷つけてしまった罪悪感に耐えられないからだと思っていた。
削除は別件が理由だったが、タイミング的に私の抗議も無関係とは思えなかったからだ。
だからこそ、私は思わず日和ってしまったり、メールをくださった方と一緒に彼女の体調を案じたりしていたのだ。
もちろん、差別に抗議したことは後悔していないが。

しかし、すぐにAさんはアカウントを復活させ、現在も鍵アカで隠れるように細々とツイートを続けている。
謝罪を要求するつもりがなかったとはいえ、以前とちがって今は“名指し”で彼女の蔑視発言を指摘したあとだ。
正直いうと、この段になってもなお謝る気配がないことに困惑せずにはいられなかったのだが、そんなAさんの様子を見るに、もしかしたら彼女にとっては自分のほうが被害者だという認識なのかもしれないと思うに至った。
頭のおかしいおばさんから粘着されていると思われているのかもしれない。

Aさんに対して私のほうを“加害者”とみなす人がいるであろうことは、いくらか予見ができていた。
実際、差別に抗議した私に不満を吐露する女性がいるぐらいだから、この見立ては正しかったといえる。
差別問題では、しばしば被害者/加害者の関係性がひっくり返ってしまう現象が起こるのだが、これについては後日詳述したい。

それにしても、蔑視発言を放ったご本人の自認が、“被害者”になってしまうのは想定外だった(たぶんね…)。
おそらく、私が抗議して以来ずっと彼女の自己認識は、私というおそろしいストーカーから逃げ続けている“被害者”だったのだろう。
たったの一言の蔑視発言に対して、何やらとてつもなく長ったらしいツイートとブログ記事を書いている…、そんなおそろしさだろうか。

だけど、Aさんは一度たりとも謝罪していないことを忘れないでほしい。

もしかしたら、単に私のことが嫌いなだけかもしれないし、あるいは万人に対して『謝ったら死ぬ病』を発症しているだけの人かもしれない。
真相は不明だが、いずれにせよ「ブスのまんこ舐めれんのか」という発言を、謝罪するに値しない些末なものとして捉えているのは確かだ。
傷つけた被差別者の痛みと自己保身とを天秤にかけた結果、彼女にとっては後者のほうが重かったということだろう。
それは彼女の選択だから、その意思を尊重したいし現状そうするしかない。

***

差別をしてしまうところまでは、しかたのない面がある。
私もやらかしてツイートを消したりしているので、その点は人のことを言えない。
差別だと知らないOR気づいていないだけのこともあれば、内在化した蔑視感情が表出してしまうことだってあるだろう。
後者の場合も、差別意識を持つのは環境因子によるところが大きいので、単純に個人だけのせいとは言い切れない。
ブスが周りからブスと罵倒されることで己の顔に劣等感を持たされるのと同様に、同じ社会的環境下に生まれ育った人たちも、またブスを忌むべき下賎な者と見なすようになるのは仕方のないことだ。
だから、件の蔑視発言がバリバリの差別意識から噴出したものだとしても、蔑視感情を持つこと自体を安易に責めることはできない。

分岐点はやっぱり事後対応だと思う。
差別を指摘された際に、いかにメタ的視点に立って「軽視している」という自身の差別意識に気づけるか、あるいは軽視しているがゆえに洟も引っかけないか。
それが、その人自身が自力で差別意識を変革できるか否かの分かれ道になるのではないか。
つまり、Aさんは後者だったということだ。

今回の件で学んだのは「ブスのまんこ舐めれんのか」レベルの発言をする人は、それが差別だと知らないわけではなく、もともと苛烈な蔑視感情を持っているということ。
よくよく考えてみると、アラフォーにもなる女性がこのレベルの発言を差別だと知らなかっただけとしてきた私の設定は無理があったように思う。
そして、謝罪もできないほど“ブス”への蔑視感情が極まっていることを思うと、すべてが無駄骨だったのだなという気にさせられる。

人間は自分より下等だと見なした相手には、なかなか頭を下げられないものだ。
プライドが邪魔して女に頭を下げられない男と同じ。
奇しくも、「男が女にしてきたことを、女もまたブスにしている」、それを証明する形となってしまった。

すべての差別に反対しますと発信していたAさんが、ネットでよく見る「俺は差別と黒人が大嫌いだ」のブスVer.を、皮肉でもなんでもなく地で行くのは残念としかいいようがない。

もしも、抗議した人の数が多かったら、私が影響力のある人物だったら、“ブス”以外の被差別属性だったら、きっと彼女は逃げたりせずにきっちり謝罪していただろう。
そんな意識の差異こそが、まさしく“差別意識”ではないだろうか。

ちなみに、Aさんご自身も複数の被差別属性を有している方で、鍵アカウントでは相変わらず「差別された話」を発信されているようだ。
彼女の目には、“ブス”がどんなふうに映っているのだろうか。

おそらく、今後も彼女は執筆活動など何らかの形で表に出てくるものと思うが、願わくばこの件を人を傷つけて罪悪感を覚えたネタとして消費したり、二度とバイアスのせいにしたりはしないでほしいと思う。

いまの私が彼女に望むことはそれだけだ。

***

ひとつ面白い経験もした。

ブス差別に抗議した私のほうが「Aさんが罪悪感に駆られて自×したらどうしよう」という罪悪感に駆られ、日和ってアレコレ取り繕ったり思わず謝罪してしまったのに対して、ブスを差別したAさんのほうは『謝ったら死ぬ病』に罹患するほどブスを見下しているがゆえ、「ブスなんかに抗議された」「あの程度の発言で攻撃された」ことを以て自身を被害者だと認識しているという現象。

当事者間で被害者/加害者の逆転現象が起こってしまったのだ。
図らずも、ルッキズムによる女同士の序列化を体現した出来事となった。
悲しいことだが、三つ子の魂百まで…。

※メンタル崩壊中なので、ちょっと被害妄想が過ぎるかもしれないけど^^;

だけど、実をいうとAさんご本人より、はるかにしんどかったのが周りの反応だ。【続く】

*次の記事*

busu.hatenablog.jp

*前の記事*

busu.hatenablog.jp

*まとめ* 

busu.hatenablog.jp